今朝の中日新聞尾張版に掲載された「天王川公園大計画」。k
年間を通して観光客を誘致する必要性や兼六園や後楽園に肩を
並べる名勝地にする抱負が述べられていた。
1919年、町政(当時は津島町) 年間予算に匹敵する13万円を町費
だけで捻出する予算案。10年で建設する事業計画を議会で承認。
1920年6月に起工して公園としての利用が始まったが住宅の大家と
入居者が対立する「家主会問題」(津島らしい)に財政難などを理由に
反対意見も続出し計画半ばの4年間の工事で事業を終えたらしい。
当時は毛織物産業が急成長していたが観光を軸にまちづくりを進め
ようとしていたらしいが公園は計画通りには建設されなかった。
もしも兼六園みたいになっていた場合、現在は観光客でにぎわう
市になっていたか? わからないが歴史は歴史として受け止めて
今後の津島市がどうあるべきか? を常に考えていきたい。