今日は津島ガイドボランティアと歩こう「天王川公園と本多静六
博士と」に参加しました。
大正7年に津島町議会で公園計画が議決され、日本の公園の父と
いわれた本多静六博士に設計を委託しました。
大正9年に発生したスペイン風邪や大恐慌により計画への批判が
高まり公園化事業は基本的な整備が完了した4ヶ年で打ち切られ
たそうです。
計画通りにいけば日本庭園や水族館、ミルクホール(主に牛乳を
提供する飲食店)が設置されたようです。
100%計画通りにいけば随分、変わっていたでしょうね。